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第1章〜5章 神と人間、人間の難儀、信心とおかげ、信心の実戦、信心の心得、信心と生活、生神の道,
第1節〜5節
神 ・
神の働き ・
神の心 ・
人間 ・
生と死 ・
神への無礼 ・
難儀のもと ・
めぐり ・
信心 (信心、わが心、信心の成長、信心と道徳) ・
おかげ ・
徳 ・
信心の仕方 (参拝、取次、祈念、お願い、お礼、お断り、おわび、お供え、修行、祭り) ・
信心の心得 (日常の信心、一心、お任せ、難儀の受けとめ方、先の楽しみ、辛抱・堪忍、我欲・油断・慢心、思いやり) ・
信心と生活 (仕事、財、食事、家庭、信心の継承、妊娠、出産、徳育、病気、習俗) ・
信心と社会 ・
生神金光大神 ・
神になる ・
人を助ける (人を祈る、話をする、親切を尽くす) ・
道を広める
第3章,信心とおかげ
- 第1節 信心,信心,090
今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。
- 第1節 信心,信心,091
日に日に生きることが信心である。
- 第1節 信心,信心,092
しんじんとは、信の心ではない。金光大神は、しんじんを神人と書く。
- 第1節 信心,信心,093
信心をせよ。信心とは、しんはわが心、じんは神である。わが心が神に向かうのを信心という。御徳の中にいても、人間に信がなければ、おかげはない。
- 第1節 信心,信心,094
信心して神になることを金光大神が教えてやる。
- 第1節 信心,信心,095
天地金乃神は天地を1目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神に向けて信心せよ。何事も無礼と思わないで1心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてあげよ。
- 第1節 信心,信心,096
人間が神と仲よくする信心である。神を恐れるようにすると信心にならない。神に近寄るようにせよ。
- 第1節 信心,信心,097
信心はたやすいものであるが、みな人間からむずかしくする。3年、5年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじまりであるから、その日その日のおかげを受けていけば立ち行くことができる。たやすく信心をせよ。
- 第1節 信心,信心,098
何事もくぎづけではない。信心もめいめいにしていなければ長く続かない。
- 第1節 信心,信心,099
信心に連れはいらない。ひとり信心せよ。信心に連れがいれば、死ぬにも連れがいるであろう。
- 第1節 信心,信心,100
信心は日々の改まりが第1である。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思って、日々うれしく暮らせば家庭に不和はない。
- 第1節 信心,信心,101
生きている間は修行中である。
- 第1節 信心,信心,102
的なしの信心を授けておく。1心を定めて、いただくがよい。おかげは受け勝ち、守りは受け得。おかげを受けたら、ご恩を忘れてはならない。
- 第1節 信心,信心,103
信心するという心におかげはない。信心させていただくという心におかげがある。
- 第1節 信心,信心,104
神を信じる者は、何をするにしても遊ばせていただくのである。広前の奉仕で遊ばせていただき、商売でも農業でも遊ばせていただいているのである。みな天地の間にうれしく、ありがたく遊ばせていただいているのである。
- 第1節 信心,わが心,105
信心は本心の玉を磨くものである。
- 第1節 信心,わが心,106
玉磨かざれば光なし、光らなければ石かわらのごとし、と言われているが、信心する者は本心の玉を磨かなければならない。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かなければ光らない。人間は万物の霊長であるから、本心の玉を磨いて、何事にも心がけをよくしなければ、自分は信心していると思っていても、人はそう見て敬ってはくれない。それは、身勝手な信心というほかない。
- 第1節 信心,わが心,107
真の道をいく人は、肉眼をおいて心眼を開けよ。
- 第1節 信心,わが心,108
わが心でわが身を生かすこともあり、殺すこともある。
- 第1節 信心,わが心,109
おかげを受けられるか受けられないかは、わが心にある。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる。
- 第1節 信心,わが心,110
信心は大きい信心がよい。
- 第1節 信心,わが心,111
心は広く持っておれ。世界は広く考えておれ。世界はわが心にある。
- 第1節 信心,わが心,112
信心するものが、喜ばない、つらい顔をして日を過ごしてはならない。天地の親神を信心するのであるから、天地のような広い心にならなければならない。
- 第1節 信心,わが心,113
「今月今日で1心に頼めいおかげは和賀心にあり」という見識を落としたら世が乱れる。神のひれいもない。親のひれいもない。
- 第1節 信心,わが心,114
父も私も気性が荒く、いつも意見が合わなかった。その時も何かのことで争い、参拝したところ、金光様は天地書附をくださり、「おかげは和賀心にあり」について、「和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である」とご理解をしてくださった。
- 第1節 信心,わが心,115
信心する人は何事にも真人になれよ。
- 第1節 信心,わが心,116
手や口は手水鉢で洗っても、性根は何で洗うのか。実意丁寧の真でなければ洗えまい。
- 第1節 信心,わが心,117
拝めとも何をせよとも言わない。ただ1つ真の信心をせよと言うのに、その1つができないのか。
- 第1節 信心,わが心,118
心配する心で信心をせよ。
- 第1節 信心,信心の成長,119
信心も手習いも同じこと、1段1段進んでいくのである。にわかに先生にはなれない。
- 第1節 信心,信心の成長,120
何事でも、千日の辛抱をしなければ1とおりの修行は積めない。信心も、千日の信心が続けば、だいぶありがたくなる。しかし、おかげを落とす者ができだすのも、このころからである。信心は、1年1年ありがたくなってくるのでなければ本当ではない。
- 第1節 信心,信心の成長,121
信心は、年をとるほど位がつくものである。信心をすれば1年1年ありがたくなってくる。
- 第1節 信心,信心の成長,122
神を信じる者は多いが、神に信じられる者が少ない。
- 第1節 信心,信心の成長,123
神を使って、神に使われることを知らない。
- 第1節 信心,信心と道徳,124
昔から、あの人は神様のような人である、仏様のような人である、人に悪いことをしない正直者であるといわれる者でも、だんだん不幸なことが重なったりして、どういうわけであろうかというが、みな、神に無礼粗末があるからである。いくら人に悪いことをしない正直者でも、信心しなければ神には無礼粗末になる。人がよいのと神への無礼とは、また別ものである。信心しなければ、いくら善人でもおかげにはならない。
- 第1節 信心,信心と道徳,125
どんなによい料理屋が隣にあっても、その料理屋のごちそうを食べたことのない人は味を知らない。料理屋のごちそうは食べなくてもよいが、金光大神が話している天地金乃神のおかげは、受けないわけにはいかない。また、多くの人の中には、私は天地金乃神を拝まないがそれでもさしつかえはない、と言う人もある。これは恩を受けて恩知らずというものである。
- 第1節 信心,信心と道徳,126
物事のわからない無茶な者でも、信心していると、打って変わってよくなってくる。それというのは、信心すれば物の道理を聞かされ、道理をわきまえてくるからである。神の道に入れば、ひとりでに人の道を踏むようになるが、人の道をわきまえていると言う者の中には、神の道をわきまえない者がある。
- 第1節 信心,信心と道徳,127
大正直の人と悪心の人は、よくおかげをいただく。中くらいの人は熱心さがうすく、おかげが少ない。
- 第2節 おかげ,,128
真にありがたいと思う心は、おかげのはじめである。
- 第2節 おかげ,,129
だれでも、不幸災難に遭って困りきっている時に助けてもらったのは、この恩、このおかげを1生忘れられるものかと言うが、日に日に授かっているおかげは、案外知らないでいる。神のおかげは、生きているから死んだからではない、いつも受け通しである。
- 第2節 おかげ,,130
信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である。
- 第2節 おかげ,,131
みな、おかげをくださいと言うが、果たして本当のおかげを知っているのか。自分の思うとおりを聞いてくださるのがおかげとは限らない。死んでおかげの者もあり、命をつないでもらっておかげの者もある。すべてこの世のことは天地金乃神のご支配であるから、神に任すよりほかはない。信心していれば、その時は都合が悪いようでも、神の仰せにそむかないでいると、後になってから、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかってくる。これがわかるくらいの信心をしなければ、信心するかいがない。
- 第2節 おかげ,,132
広大なおかげというが、おかげとはめいめいの真に映る影のことであるから、神に大きな真を向けてみよ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえない。影は形に添うと決まったものである。
- 第2節 おかげ,,133
おかげはたらいの水である。向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行く。
- 第2節 おかげ,,134
無常の風は時を嫌わないというが、金光大神は、その無常の風に時を嫌わせてやる。病気の程度に合わせて生きるか死ぬかの見立てをするのは、医者である。これでは生きられないと、医者が手を切ったら、死ぬのである。そのように医者が手を切った者でも、天地金乃神のおかげをいただいて助かったら、無常の風が時を嫌ったことになるであろう。
- 第2節 おかげ,,135
神の心にかなった者が少ない。財産と人間と健康とがそろって3代続いたら、これが神の心にかなったのである。神の心にかなわないと、財産もあり力もあるが、健康でない。健康で賢くても財産をなくすことがあり、また大切な者が死んで、財産を残して子孫を絶やしてしまう。神のおかげを知らないから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事健康で子孫も続き財産もでき、1年まさり代まさりのおかげを受けることができる。
- 第2節 おかげ,,136
めでためでたの若松様よ、枝も栄える葉も茂る、というではないか。金光大神は子孫繁盛、家繁盛の道を教えるのである。
- 第3節 徳,,137
先の世まで持っていかれ、子孫までも残るのは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。
- 第3節 徳,,138
神徳を受けよ、人徳を得よ。
- 第3節 徳,,139
神徳は、人間心の位も思わず、理屈も言わず、学問のうぬぼれ心もなく、清い1心さえあれば、受けられる。
- 第3節 徳,,140
金光大神は参ってたずねる所がなかった。あなた方はおかげを受けて遠路の所を参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。
- 第3節 徳,,141
徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない。
- 第3節 徳,,142
「私は病身で、長生きはできないような気がしてなりません」と申しあげると、金光様は、「人の命は人間の考えではわからない。神は向こうあけ放しであるから、信心して神徳を積んで、長生きをするがよい」とみ教えくださった。
- 第3節 徳,,143
信心して徳を積み、神から徳を受けた人は、慎みが第1である。常に慎みをしても、死に際に不足の心が出ては、せっかく受けた徳を失うことになる。信心して徳を受けた者は、平素の慎みも大切であるが、死に際の慎みも、また格別大切である。必ずその時に徳を落とさないようにせよ。
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