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第1章〜5章 神と人間、人間の難儀、信心とおかげ、信心の実戦、信心の心得、信心と生活、生神の道,
第1節〜5節
神 ・
神の働き ・
神の心 ・
人間 ・
生と死 ・
神への無礼 ・
難儀のもと ・
めぐり ・
信心 (信心、わが心、信心の成長、信心と道徳) ・
おかげ ・
徳 ・
信心の仕方 (参拝、取次、祈念、お願い、お礼、お断り、おわび、お供え、修行、祭り) ・
信心の心得 (日常の信心、一心、お任せ、難儀の受けとめ方、先の楽しみ、辛抱・堪忍、我欲・油断・慢心、思いやり) ・
信心と生活 (仕事、財、食事、家庭、信心の継承、妊娠、出産、徳育、病気、習俗) ・
信心と社会 ・
生神金光大神 ・
神になる ・
人を助ける (人を祈る、話をする、親切を尽くす) ・
道を広める
第5章,生神の道
- 第1節 生神金光大神,,352
金光様が、「私は生神ではない、百姓である。天地金乃神様に頼めばよい。私はただ、神様に申しあげるだけのことである」と仰せられ、ご神前に進まれると、すぐ神から、「金光大神は、自分は百姓であるから天地金乃神に頼めばよい、と言うが、金光大神があって天地金乃神のおかげが受けられるようになった。神は何千年来、悪神邪神と言われてきたが、金光大神があって神は世に出たのである。神にとっての恩人は金光大神である。人間も、金光大神があってこそ神のおかげが受けられるようになった。人間にとっても恩人である。神からも人間からも両方の恩人は金光大神である。金光大神、と頼んでおけばよい。金光大神の言うことを聞いてそのとおりにすれば、神の言うことを聞くのと同じである。金光大神の言葉にそむかないように、よく守って信心せよ」とお知らせがあった。その後、金光様は、「今、神様があのように仰せられたが、私は神様の番人のようなものであるから、私に頼んでもおかげはいただけはしない。どうであろうとも、天地金乃神様、と一心にすがれよ」と仰せられた。すると、「金光大神はあのように言うが、金光大神にすがっていればよい。まさかの折には、天地金乃神、と言うにはおよばない、金光大神助けてくれ、と言えば、すぐにおかげを授けてやる。とお知らせがあった。
- 第1節 生神金光大神,,353
金光大神の取次で、神も立ち行き、人間も立ち行く。人間あっての神、神あっての人間、子のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地のようなもので、あいよかけよで頼み合いをせよ。
- 第1節 生神金光大神,,354
金光大神の話は、学者の話や講義と違って、ここが続き、ここが切れ目ということがない。天地のある間は、天地の話が尽きることはない。金光大神は天地の道理を説くのである。
- 第1節 生神金光大神,,355
「天地金乃神と人間との間柄を、参って来る者に話して聞かせよ」と、神が仰せられるので、金光大神は話をしているのである。
- 第1節 生神金光大神,,356
金光大神がご神前を離れれば、世の人々がけが過ちをするかも知れない。世の人々にけが過ちのないように、本当のおかげが受けられるようにと願っていると、金光大神はここを動く暇がない。
- 第1節 生神金光大神,,357
金光様は、いつも、「たとえ、この身は八つ裂きの仕置きにあい、村々の辻に曝し者にされるようなことがあっても、私の屋敷跡に青草が生えるようになっても、少しもかまいません。世界の人々が、生神金光大神、と真心で1心に願えば、どのような願い事でもかなえてくださいませ」と願っておられた。
- 第1節 生神金光大神,,358
「金光様、あなたがお隠れになりましたら、この道はどうなりましょうか」とお伺いした。すると、「心配することはない。形を隠すだけである。肉体があれば、世の人々が難儀するのを見るのがつらい。体がなくなれば、願う所に行って人々を助けてやる」と仰せられた。
- 第1節 生神金光大神,,359
生神金光大神といっても、今までは形があったから暑さ寒さも感じたが、これからは形を去って真の神になるから、1目にすべての者を見守ることができる。
- 第1節 生神金光大神,,360
月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。金光大神も生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさないで、真1心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせてくださる。
- 第1節 生神金光大神,,361
人民のため、大願の氏子を助けるため、神が金光大神を身代わりにさせる、金光大神のひれいのため。
- 第2節 神になる,,362
金光大神のことを生神と言うが、金光大神ばかりではない。この広前に参っている人々がみな、神の子である。生神とは、ここに神が生まれるということで、金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる。
- 第2節 神になる,,363
人は金光大神のことを生神と言うが、金光大神も、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神の仰せどおり真1心に信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい。
- 第2節 神になる,,364
無学で人が助けられないということはない。学問はあっても真がなければ、人は助からない。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしている者がある。金光大神は無学でも、みなおかげを受けている。
- 第2節 神になる,,365
人を1人助ければ、1人の神である。十人助ければ、十人の神である。
- 第2節 神になる,,366
わが身、わが1家を練習帳にして、神のおかげを受けて人を助けよ。
- 第2節 神になる,,367
神から金光大神に、いつまでも尽きないおかげを話にしておく。金光大神が教えたことを違わないように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼である。これが神になるのである。神になっても、神より上になるとは思うな。
- 第2節 神になる,,368
信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神の心になって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神を使うばかりで、神に使われることを知らない。天地金乃神は人を使いとなさる。神に使われることを楽しみに信心せよ。
- 第2節 神になる,,369
「私はこれまで広大なおかげをいただいていますので、何か神様にお礼をさせていただきたいと思いますが、何を奉ったら、この神様は1番お喜びくださるでしょうか」とおたずねした。金光様は、「神にお礼をするのに物を奉ってすむのならば、これまであなたが神のおかげを受けられたそのお礼には、何もかも奉っても足りはしまい。神はそんなものをお喜びになるのでもなく、また望んでおられるのでもない。神のありがたいことを知らない世の中の人々に、あなたがおかげをいただかれたことを教えてあげよ。そうすれば、その人々が助けられ救われる。それが神の1番喜ばれるお礼である」と仰せになった。
- 第2節 神になる,,370
生きている時に神になっておかないで、死んで神になれるか。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,371
自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ。そうすると、自分のことは神がよいようにしてくださる。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,372
今まで長い間痛くてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その2つを忘れるな。その2つを忘れさえしなければ、病気は2度と起こらない。これからは、人が痛いと言って来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたかった時のことを思い出して、神に頼んであげよ。自分はもう治ったから人のことは知らないというような心を出すと、またこの病気が起こる。今の心でおかげを受けていけば、病気が起こらないばかりか、子孫の末までおかげを受けられる。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,373
人の悪口を言う者がよくある。もし、その場にいたら、なるべく逃げよ。陰で人を助けよ。陰で人を助けておけば、おのずと神の恵みがある。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,374
人に悪く言われた時に、信心しているからこらえなければならない、と思ってこらえるくらいではまだいけない。先方の心をどうぞ直してあげてください、と拝んであげるようにならなければいけない。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,375
たとえ人にたたかれても、けっして人をたたいてはいけない。人に難儀をさせるな。よい心にならせてもらえばありがたいと思い、すれ違った人でも拝んであげよ。できるだけ人を助けるようにせよ。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,376
信心する人は、人に頭をたたかれても、私の頭は痛みませんが、あなたの手は痛みませんか、という心になり、また、頭から小便をかけられても、ぬくい雨が降って来たと思えばよい。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,377
ある時、金光様の家の麦わらの垣に、だれかが火をつけて焼きかけになっていた。それを見た人が、「金光様、こういうことをする者には罰を当てておやりなさい」と言ったら、「こういうことをする者こそ神に願って、心を直してあげなければならない」と仰せられた。
- 第3節 人を助ける,人を祈る,378
盗難に遭った時は、大難を小難に逃れさせてくださったと神にお礼を言い、また、盗人が本心に立ち返り正業に就くように、と神に願ってあげよ。
- 第3節 人を助ける,話をする,379
金光大神があって神は世に出た。金光大神の話していることを、そのまま人に聞かせてあげればよい。あなたが、これまでおかげを受けてきていることを話せば、それでよい。何も、そう心をつかわなくてもよい。後ろに金光大神がひかえている。
- 第3節 人を助ける,話をする,380
神が金光大神に教えてくださり、話して聞かせよと言ってくださるから、話してあげる。それを聞いて、子供にでも他人でも話して聞かせてあげよ。めいめいにそれを心得、神はありがたいとわかって信心する人が1人でもできれば、神がお喜びになる。そうなれば、あなた方も神のご用に立つことになる。
- 第3節 人を助ける,話をする,381
たびたび参られても、何も手から手に渡すものはない。私のは話がおかげであるから、帰られたら話をして、おかげを受けさせよ。世の中に他人ということはない。
- 第3節 人を助ける,話をする,382
道を歩きながら話をしても、腰をかけて話をしても、心から納得すればおかげになる。
- 第3節,人を助ける,話をする,383
機を織りながらでも着物を縫いながらでも、教えをしてあげよ。教えてあげれば人は助かる。
- 第3節 人を助ける,話をする,384
教えてもらって信心しておかげを受けたら、人にも教えてあげなければ、神へのお礼にならない。信心する者の役目がすまない。
- 第3節 人を助ける,親切を尽くす,385
寒い日であったが、お参りの途中で気の毒なおじいさんに遭い、かわいそうに思って、着ていた物を脱いであげた。それからお参りすると、金光様が、「今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいという心からわが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心である。その神心におかげがいただける。それが信心である」と仰せられた。
- 第3節 人を助ける,親切を尽くす,386
神に参るだけが信心ではない。至急の時には、お礼を当てにすることではなく、格別の親切を尽くすがよい。急難にかかっている人がいたら早く行って助けてあげ、火事があれば早く行って火を消す手伝いを潔くすれば、これが真の信心親切となる。何事にも心がけておれ。
- 第3節 人を助ける,親切を尽くす,387
病人に品物を贈る親切だけが見舞いではない。見舞いの言い方で、気分が強くもなり弱くもなる。せっかく見舞いに行く親切があるなら、病人の心が元気になる見舞いを言ってあげると、病人の心が広く大きくなる。この時から、神のおかげをすぐにいただけるようになる。金光大神の話したことを、病人や家族に話してあげれば、悪いことを思わないで、安心して全快することを楽しむ。人によると、見舞いに行っても病人を見て涙を流し、さぞつらかろうと言ってなでさすりして、病人の心を苦しめる者もある。また、病人の顔色を見て嘆き、やせたのを見て嘆く。家族へはあちこちの悪い話を集めて聞かす。そうすると悪い思いが満ちて、神のおかげを入れる所もないようになる。そのような心配をさせては、見舞いに行って見舞いにならない。病人の心が元気になるように話をし、また家族の者には余計な心配をさせないように話し、できるだけの手伝いをせよ。また、貧しい人には金や品物を贈るなど、助ける道はいろいろある。何事にも心がけて信心をせよ。
- 第3節 人を助ける,親切を尽くす,388
農業する人は、自分の田の水の様子を見に行ったら、人の田の水も見てあげれば、人もまた自分の田の水を見てくれる。互いに親切にし合えば、人も喜び、神もお喜びになる。
- 第4節 道を広める,,389
天地の間のおかげを知った者がいない。しだいに世界中、火の照らす下、万国まで残りなく金光大神ができ、おかげを知らせてやる。
- 第4節 道を広める,,390
天地の道がつぶれている。道を開き、苦しんでいる人々が助かることを教えよ。
- 第4節 道を広める,,391
道は人が開け。おかげは神が授ける。
- 第4節 道を広める,,392
道を立てる者は、目先の欲を放して末の徳を取れ。どれほど艱難苦労をしても、人の杖とも柱ともなるがよい。
- 第4節 道を広める,,393
世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいである。人の口には戸が閉てられない。人は先のことを知ってはいない。いかに世の人が顔にかかるようなことを言っても、腹を立てるな。神が顔を洗ってやる。
- 第4節 道を広める,,394
お道のご用をさせていただこうと、真の教えをする者が1町に1軒、1村に1軒になれば、お道を伝えるにはらくである。
- 第4節 道を広める,,395
あなた方は小さいことばかり考えているが、金光大神は、世界をこの道で包み回すようなおかげがいただきたいと思っている。
- 第4節 道を広める,,396
欲を捨てることについておたずねした時、「いやいや、私にも欲がある。世界の人を助けたい欲がある。欲を捨ててはいけない」と仰せになった。
- 第4節 道を広める,,397
金光様は、「道を世界中に広めなければならない」と常に仰せられていた。
- 第4節 道を広める,,398
信心をせよ。はじめは1人でも、後には日本中の人が信心をするようになる。外国の人までも信心をするようになる。金光大神もはじめは1人であったが、今ではこのとおり大勢になった。
- 第4節 道を広める,,399
信心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよ。
- 第4節 道を広める,,400
金光とは、金光るということである。金は金乃神の金、光は天つ日の光である。天つ日の光があれば明るい。世界中に天地金乃神の光を光らせて、おかげを受けさせるということである。
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